世界一過酷と言われるアタカマ砂漠マラソンを完走した2人
23日の誕生日直前!!皆にお祝いしてもらいました~!!^o^
ありがとーーう!!幸せもんやあ^o^
看護師を辞めてから今に至るまでの助走の滑走路を一緒に開拓してくれたらんぼうさんと、
視野95%欠損しても世界一過酷と言われるアタカマ砂漠マラソン(250キロ!笑)を完走した幸四郎さんのインタビュー&対談的な?もできて、締めくくりが幸先良すぎました。
幸四郎さんの楽しく生きる知恵おもしろい!!
うちのここ一年の強制終了して強制断捨離して見えた大切なことなども、ちょろっと入りこんでます^o^ ひえ~。
そんなかんなで、今年一年長かった~あと人生で一番辛く行き詰まった年でしたが、そのおかげで世界の見方が180度変わりました。
本当は優しい世界だったことに気づきました。言語化が難しくておいおい書いていけたらなぁと思います^o^
らんぼうアースガイド↓
https://m.facebook.com/earthguidedayo/?ref=m_notif¬if_t=video_comment_tagged
幸四郎さんブログ↓
http://ameblo.jp/kotodama-koshiro
不思議で成り立つ世界と前兆
産科で働いていた時、死産や流産のグリーフケアの本を読んでいて、池川先生の本に少し触れたことがありました。
池川先生は産婦人科医で、胎内記憶の研究者でもありました。
その時は、そんな世界もあるんやね~ぐらいしか思っていませんでした。
しかし、病院で働くほど、退職した後、色んな世界に触れるほど、科学では説明できないことがいっぱいあることに不思議だなぁと感じざるを得ないことが多くなってきました。
今年3月、人に会うまでに時間があったので行きたい店が休みで、普段入るはずのないカフェにふらっと行きました。
そこのオーナーさんが池川先生の話を聞いたことがあり、5月に池川先生を呼んで講演会をするので来てくださいと言うてくださいました。
生まれることって本当は不思議なんだなぁと思っていたし、生まれる時の事を覚えている友人の話や、中間生を思い出した友人の話を聞いたこともあり、講演会に行ってみようかなぁと思っていました。
講演会まであと一週間という時、前兆が集まってきました。
FBを見ていたら、友人のフィードに「神様との約束」という胎内記憶の映画を見てきたとの投稿があり、なんとなく大阪で上映してないのかなぁ、、と検索したら今月はまさに二時間後上映するじゃないか!とせっかくなので行くことにしました。
出かける準備をしていると、なぜか横浜に住んでいる友人をふと思い出しました。
そしたら、そんなタイミングでその友人からメールが入り、なんとなく今から神さまとの約束っていう映画見に行くねん~と言ったら、
「私の家、池川クリニックの近くで、病院にも行ったことがあって、めぐちゃんにも紹介しようと思ってた先生なの!」
ということでした。
幸先いいな~と映画を見に行きました。
感想を一言で言うと、
不思議の世界で生きていることを忘れたら、当たり前に支配されて喜びも忘れてしまうんじゃないかなぁ~と思いました。
だからこそ、有難いが体感覚から感じれたり、自分や人を大切に愛したいなぁと改めて思います。
家に帰ってゆっくりしていると、
東京で仲の良い友人が、ふとめぐちゃんのことを思い出してメールしてみた~!と連絡があり、近況も聴きたなぁと思っていたので電話をしました。
「そういえば今日なんとなく胎内記憶の池川先生が出てる映画見に行ったんよ~!しかもたまたま来週講演会も行くんよ~!」
と友人に言ったら、、、
「あらいいじゃなぁ~い。池川先生のクリニックがアタシの高校の近くで、しかも6年前池川先生呼んで講演会主催したことあるのよ~~1000人くらい来てくれたわ💕」
友人はゲイで、身体は男で子どもが産めないから皆のおかあさんになる!と言ってシェアハウスをやっておかあさんをやっている。
とても面白い人なのでおいおい紹介できたらいいなぁと思います。
お‥‥なぜか池川ファーバーが私の周りで起こっている‥‥!!!
たまに起こる現象なんですが、アンテナを立てていると、前兆のように情報や人がシナリオを書いたように集まって、バーーン!!!って一気に道ができることがあるんです。
なんの前兆でしょう。
なんだかワクワクしてきました。
一旦、
魂から生きることを思い出したらいいよって言われてるんかな?
それとも何か想像できないことがおきるのかな?
それとも何もおこらないかな?
どれも、面白いことなので前兆を見守ってみようかなぁと思います。
夏が楽しみすぎる!
いくら知識があってもその人の心が自由でないとその空間が窮屈なものになる
坂爪圭吾さんにお花をもらいました。
人にお花をあげることはあっても、もらうことは少ないので、めちゃ嬉しくてふがふがしています。
花を無差別に配りまくる坂爪さんはおもしろいと思います。
坂爪さんは家がない生活をして想像を超えた現象を巻き起こしていき、今はごちゃまぜの家を作りたいとクラウドファンディングを立ち上げました。
こりゃぁおもろそうや!お布施したい!と思っていたら大阪でそのような集まりがあるではないか!明後日やないか!よし空いてる行けるぞ!!思い立ったが吉日で一緒の空間に身を置きに行きました。
坂爪さんは話していたいというより、ただ一緒の空間にいたいという人です。
ブログをしてはるんですが、自分がぶれそうな時坂爪さんを見ては、「何を言われても自分は自分だ‥‥!!!」と戻れます。
一見、あまり良くないとされている
孤独や、不安や、恐怖が肯定できることが多くなってきたんですが、あと一歩のところで坂爪さんが出す言葉に後押ししてもらったのではないかと思います。
オススメすぎる「いばや通信」⇩
『いくら知識があってもその人の心が自由でないとその空間が窮屈なものになる。』
というかんじのことを言っていたと思うのですが、
人間という力と、その人の魅力が、自由を起動させるのではないかと思います。
今日もいい1日でしたわ。
物作りから見えてきた誰かの作った夢を一旦捨てて、自分の夢を取り戻す
最近、手でものを作ることが楽しくて何か自分で作れそうなものがあったらどうやって作れるかな?とあれこれ作戦を立てることを最近しています。
ご飯作りや、大葉を育てたり、七輪を作ったり、家で陶芸したり、イヤリングを作ったり‥‥。
小さいことなんですけど、何気なく普通に使っていた物を作る時、構造を調べたり、ここがああなって形作られているんだなぁと、おお〜!!と改めて発見したりおもしろいです。
完成された物をお金で交換して買うのはとても早いということ。
そして、材料を揃えて自分で切ったり穴あけたり、手間をかけて作ることは時間がかかること。
そこから見えてきたのは、
誰かの作った夢を捨ててみることでした。
とりわけ夢は何ですか?と聞かれたら、
皆で楽しく生きることぐらいしか思いつかないのですが
「夢殺し」に気付かず入ってしまうことがあるかもしれないと思いました。
そういう時は、「足りない」ばかりを見たり、「誰かの言った言葉」に踊らされたり、自分がぶれている時が多いです。
お金があれば、有名になれば、地位があれば、◯◯があれば‥‥。
終わりのない実態のない、誰かがいう夢を追い求めてしまう時があります。
それは自分で自分を夢を壊す「夢殺し」なのではないかと思います。
本当は楽しく皆で生きることが私の夢だったはず。
物作りをしていると、楽しい反面、
めんどくせー!!!と叫びたくなるような行程もあったりします。
そういう時、誰かがこれを作ってくれてたんだなぁと感謝が自然とできたり、
植物を育てていると、何気なく食べている食べ物は色んな地球や太陽のエネルギーで時間をかけて育ち、その育ちをお助けする人がいて、、
どんだけ色んな力に助けてもらって生きとんねや!!!
と、びっくりしました。
ああ、もう充分足りてるじゃないか。
「足りない」ばかり見てたけど、「充分」を見ると、果てしなくすでに満たしてもらっているじゃないか。
これが有難いというのか。
感謝せえ!!と誰かに言われるわけでもなく、感謝せえやという社会通念による圧迫もなく、
『自然』と沸き起こる感覚なのだなぁと、感謝の体感覚ってじんわり温かいものなのだなぁと思いました。
物作りから見えた、誰かの作った夢を一旦捨てて、本当の自分の夢を取り戻す。
手を動かす力を大切にしたいと思います。
じいちゃんの8ミリフィルム
実家が喫茶店するのに一旦家を解体するので、ここ数ヶ月大掃除をしていて、じいちゃんの8ミリフィルムと映写機が出てきました。
70年代の大阪万博を写したものや、インド旅行のフィルムもあって、めっちゃ見たいんですが、映写機は動かすと煙が出るので写せず‥!笑
フィルムを見ていると、
「母親の声」
と書かれたフィルムが出てきました。
うちからするとひぃばぁちゃん。
ひぃばあちゃんには会ったことはないし、じいちゃんも私が小さい時に亡くなったのであまり記憶がないですが、無言で牛乳をコップに入れてくれ、すぅ‥と置いてまた部屋に戻ってたなぁというのしか覚えていません。
なのでじいちゃんの形見を見ているのがなんか不思議なんですねぇ。
当たり前ですが、じいちゃんにも母がいたんだなぁとそれも不思議です。
形見お宝は発見ですな!
年齢を気にせずピンク色をきこなす80代のおばあちゃん
友人の結婚式があるので、服装どうしようかねぇと思い色々サイトを調べていました。
フォーマルな場なので、最低限これを守った方がいいという記事はいいんですが、
何十代はこの色はあかん、あれしたあかん!とか禁止事項がめちゃくちゃ書かれている個人?サイトも多いですなぁと思う次第でした。
それで思い出したんですが、
スリランカにいた時、オンボロバスに飛び乗ってきたおそらく80代ぐらいのおばあちゃんがまっピンクのサリーを着ていて、おお‥!とても似合って顔に映えるし美しいなぁと思いました。
日本では80代は絶対着ないであろう、10代が着るようなまっピンクの色でした。
着こなしててす、、すごい‥!!
と思いました。
スリランカはもともと
なんか、何十代だからこれ着たらあかんとか、
何十代だからこれをしなあかんとか、
禁止事項を並べて、皆と違うことを恐れて、皆と同じにするより、
その人の持っているものを生かしたライフスタイルを楽しんだらええんやな〜と、
禁止事項の多いサイトを見ながら、
ピンクのおばあちゃんを思い出しました〜という、しがないお話でございました。
思考優位を殺して感覚的になる。断食はおもしろい
あー胃が張ってるなぁ、食べ過ぎかなぁと思って久しぶりに断食をしました。
今までは断食断水を僧侶の方とさせていただいていたので、水分を飲むとなると体の感覚が違うので水のパワーってすごいなぁと思います。
断水まですると、2日目の午前中が一瞬パラレルワールドにふっとびます笑
今まで溜まっていた毒素が浄化されるのか頭はふらふら体は重だるくしんどいんですが、それを抜けると体が軽っっ!飛べそう!となって、そこからがめちゃくちゃおもしろい!!
普段思考優位になって抑えていたであろう感覚が優位になるんです。
なので、普段感じていない樹木が呼吸している空気感や水分が空気中を飛んでいる感覚や、生きている人の気やエネルギー、奥底にある自分の生命エネルギーがフツフツ感じ取るようになってきます。
もうこれは言葉にできない感覚。
飢餓状態にじわじわ持っていく途中なので、おそらく生命の危機を細胞レベルで完治する能力が目覚めて、感覚が優位になってくるのかなぁと体感覚でそう感じました。
そういう体感をすると、昔の人の感覚ってとても高かったのではないかなと思います。作物が不作になればいつ何時食べられなくなるという隣り合わせの状態で危機感をどこかで感じていたのではと。
今より科学で証明できない時代に雷を「稲妻」と名付けたのは、経験上もあるかもしれないけど体感覚で何かを察知していたんじゃなかろうかと思うわけです。(雷の放電で空気中に窒素酸化物になって雨で土に落ちて肥料になり稲穂が育つ)
思考で考えるとついつい、損得感情や条件で物事を決めてしまうこともあるけど、断食中だと肝から大切なことを決められそうだな〜と思います笑
体で考えると、とーっても楽!!!
今回は軽く断食してたのですが、楽しくなってきたので続けるか体に決めてもらおうかなと思います。