ケニアのスラム街に住んでいた23歳のジレンマ
大学を卒業後、女一人旅バックパッカーでケニアにいた。
ご縁でケニアナイロビ近くのとあるスラム街にケニア人の家族と住んでいた時期がある。
スラム街にも階級があるようで、まったく仕事を持っていない人達が住むスラム街もあれば、日雇いでも仕事が辛うじてある人達が住むスラム街など色々。わたしは後者のスラム街にいた。
旦那さんが急死し、女手で3人の子どもを育てているケニア人の看護師さんの家で一緒にスラム街にあるヘルスセンターの手伝いをしていた。
HIVの対策で対象は少年達。服はボロボロで穴があきまくり、肉体労働をしたのか砂まみれ。
他にも決して裕福ではない少年達が毎日来ていた。
そうするとHIVウイルスの感染率が60−70%低下する。
彼らの目はどこか遠くを見ているようだった。
これから彼らはどうするんだろう?
この少年はあと何年生きられるのだろう?
まだまだHIVキャリアだと差別があり、ばれると最悪解雇される場合もある。
ばれないよう治療のため仕事を休んで病院に行くには色んな言い訳を考えて病院に来ることも少なくない。
決して治療を受けられる環境が整っているとは言いがたい。
貧困ってなんだ?何でうまれるんだろう?
お金があればいいの?政治がよければいいの?
と当時23歳の私は悶々と過ごしていた。
他にもアジアを回れば子ども達がマニーといってお金をせがんだり物を売りに(押し売りに近いが)来た時も私は頭を悩ませていた。
どうすればいいんだろう…?
悩んだあげく、折り紙を一緒におって遊んだり似顔絵を描いてわたしていた。
お金をあげたり、買うとそれを繰り返し解決になりにくいかもしれないと思ったからだ。
ギラギラした目をしていた子どもたちと一緒に遊ぶと、子どもみたいなキラキラした目に戻っていった。
国境なき医師団のある医師の言葉を思い出す。
「世界で富の再分配をすれば貧困はなくなる」
今、看護師を辞めてカメラマンで色んな土地に行き、人に会い、話を聞く中で、一部の企業、権力者が富を握っていると確信がわいてくる。
そして利益のために被害を被るも屈せずに戦っている土地の人達にも会ってきた。
正直、自分にはどうしたらいいかわかりません。
でも、その場所に行く事で知ることや考えることもできるし、知るから行動できることもいっぱいあるから、
確認しながら手探りにでも進んでいくしかないなあと思います。
知って絶望的になることもあるけど、そこから点でもいいから希望を見つけて歩けばちょっとずつ開けていくことを今は信じています。