実験室「め」

救急看護師を辞めてフォトジャーナリストへ。自分を生きてみたら何が起きるか実験中

何がしたいかわからない処方箋

大学で講演をする時に、私が大切にしている一つに3分でも行き詰まった時どうしたかを言うようにしています。

大学時代何に迷って、何の壁にぶちあって、どう考えどうしてきたか、みたいなある意味成功経験ではなく、あえて失敗談というか、どうあがいてきたかカッコ悪いことを5分でも入れようと思いながら講演をしています。

 

 

それは、年代のまだ近い世代やし、自分も講師の成功談や功績よりも、この人がどうしていったかの過程がなんだかとても人間らしく好きだし、あーこんな一件すごそうな人でもちゃんと悩んでたんだって親近感がわきて壁があまりできなかった経験があるし、本で読んだ事、だれか偉い人が言った言葉を抜粋するんじゃなくて

 

自分自身、実際経験したことを失敗や悩んだこと、それでやってきたことを共有する方が届くと思うし、

長い人生、大学生にエールを送りたいという思いがありまして…。

 

大学1年~3年生の授業を持たせてもらうことがあるんですが、

質問の中に「やりたいことがかわかない」というものがちょこちょこあります。

 

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「何がしたいかわからない」 

 

 

 

いや~本当にこの何をしたかわからないという気持ちわかるんです笑

これ、看護師時代2年目にそのまま「何をしたいかわからない」とグーグルで検索したことがあります。笑

 

学生時代は実習、勉強でハイパー忙しかったし、国家試験というものも待ってるし、一度医療系のレールに乗ってしまうと、とりあえずそこを進むしかないので、看護師、保健師助産師の中で何がしたいかを決めていかなくちゃいかんとう程度でした。

 

看護師2年目に入り、仕事に慣れちょっと余裕が出て来た頃、

奥底に閉まっていた「何がしたいかわからない」が浮上してきたのでした…笑

いまさらですよ…!私は看護師でやっていくんだろうな~きっと…たぶん。そうたぶん…って。言い聞かせてたんですよね。

 

 

そんな仕事が楽しくなってきた時、5年後、10年後の私がそこまま看護師を続けているイメージないのが学生の時からあって、このままでいいのかなあという密かな小さい疑問がずっとありました。というのを思い出してしまった。

 

両親の不仲で母と弟側につこうという理由もあり、人の役にも立つし経済的にも自立できるからというので看護師になりました。(今は離婚せず仲良くなりました◎)

 

3年目に入る事、産婦人科から救命救急に異動になりました。

一番といってもいいほど厳しい環境。そこを経験してからまた続けるか考えようと思い続けることになりました。

 

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しかし、容量の悪い私はなかなか仕事についていくのも必死でした。

そして3交代勤務だったので、日勤は朝7時半には出てきて終わる時間は20時くらいになる時も。3時間の間にご飯とシャワーを浴びて寝て23時すぎに出勤して夜勤スタート。

という生活をしていました。

 

 

いくら体が疲れてても、夜勤後胸部痛がしても、もう体も、精神的にももうダメだ…と眠い体で夜勤後家に帰ろうとしたこと、夜勤務の時には話していた患者さんが心停止したり、日勤終わって夜勤開始の6時間後また受け持ちをする患者さんが、その6時間の間に亡くなっていたり、

 

「体も心もだめだ。私は看護師を辞めたほうがいいんじゃないか…」

と、思っても夜勤のしんどさなんかちっぽけなもんで、生きてるだけで本当に幸せなことなんだと、奮い立たせなんとか毎日をすごしていました。

 

 

あかん~と思いながらも時間短縮でコンビニにいくわけなんですけど、

自分が何を食べたいのかが全然わからないんですよ。もう何でも良い。わからないから。

 

ちょっとはあるじゃないですか、コーヒーなら銘柄これがいいな~という人もいれば、今日はこれがいいなあと。もう本当全然分からない。

 

きっと体は嘘をつけないから、体を無理さしていたので、色々と押さえ込んで生きていたんだと思うんですよ。

自分が何が食べたいということまで麻痺してきました…笑

 

私夜中起きるのが本当っっっに苦手で、学生時代から夜勤めちゃくちゃ嫌だったんです。

でもさ、夜起きるのが辛いよりも、もっと病気でしんどい患者さんが入院しているから頑張るしかない。眠いということで悩めること事態幸せなんだと思っていました。(今、思うと体は休んでくれーいと叫んでいたはず…笑)

 

 

休みは2連休しっかりあれば幸せで、大事な人に会いに行く気力なく爆睡と勉強に使う日で悲しす!!でも動けん!!笑

 

 

他にも色々ありますが、

自分の大事にする方法がわからず、他人のことを優先していたら色々自分の感度が麻痺してきたんです。

そうしないと、辛くて、体も持たないし、言い聞かせないとやっていけなかったんだと思うんです。

 

その時、ある程度自分を大切にコントロールしながら扱いながら、やっていければ感度が麻痺しないてすんだのかもしれませんが、その当時、自分を大切にしてもいいなんて思っていなかったんですよね~^^:

 

 

看護師はうつになって辞める人が多いし、精神安定剤を飲みながら仕事をする人も少なくない、何より看護師はめっちゃ辞める……笑!!! 自己犠牲で仕事する人が多いんじゃないかな~と働いていて感じました。

(大変でも自分を大切にしながら楽しく仕事している看護師ももちろんいますよ。^^)

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だから、自分の体や心を無視し続けてしまうと、感度が麻痺してしまって

「何をしたいかわからない」の一つの理由になってきてしまうのではないかと思います。

私はコンビにで何が食べたいのかもわからなくなったので、そりゃ生き方なんかようわからんくなりますわなあ…笑

ほいで、今麻痺しながら生きている人が少し多いのじゃないかと思うんです。

 

なので、「何をしたいかわからない」に打ち当たっている人~

自分の体と心を大切にできていますか?^^

ちゃんと休ませてあげられていますか?^^

体や心がやりたくないことを、義務や、恐怖心で動いてませんか?

 

よく、ワクワクすることをやろう!とかありますけど、感度弱い時ってるとわかんないんすよ笑 そんなこと言われても!!笑 行動しまくって数撃ちゃ当たる的なことをすればワクワクに当たるかもしれへんけど、まずちょっと自分を大切にするリハビリが必要だと思うんです。

 

 

 

・感覚がこれは違うということを辞めてみる(誘われたけど義理で行くことを辞めてみるとか)

・自分を大切にする。(好きなお菓子買うとかでもいい。好きな場所にいるだけでもいい)

 

 

それが、今までフタしてきた感覚の麻痺をとっていって、ちょっとずつ自分の思う「やりたいことがわかってきた…か、、も…」がなんとなくでも感覚的に感じられれば糸口がつかめるかもしれません。

ゆっりゆっくり^^

 

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記事書いた人

戦争の事実を写真を使って伝える。表に出ない本当に大切なこと。|写真を通して表に出ないものを引き出す 板谷 めぐみさんの人生インタビュー|another life.(アナザーライフ)

 

me-itaya.wixsite.com