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実験室「め」

救急看護師を辞めてフォトジャーナリストへ。自分を生きてみたら何が起きるか実験中

「日本人だから○○しないといけない」を捨てる




日本に住んで、海外に出て日本の良さを知って、日本の窮屈さも知って、日本人というものをより意識して好きになろうと思っていました。



一つは世界に誇る日本文化を好きになってみよう!と思い、着物を着てみたり、日本芸能を見たり、まず触れてみようと思いました。


もはや、日本でも数少ないお座敷で芸をされる方に「文化は学ぶものではなくて、体感するものだ」とおっしゃっていました。

おじいちゃん世代は日常に文化が体感に落とすレベルであふれていたのだそうです。

私達の世代では日常で感じられる日本文化は形骸化され、体感覚での日本文化がよくわからないのが今の日本人と文化の生き方になってしまったのだと思います。


だからこそ体感覚まで日本文化を落としてみたら、なんか面白いかなぁと思い本を読むというより、触れたり聞いたりしました。


しかし‥!!!

自分の好きには勝てないと降参しました。

着物を着てみても、、全然好きになれず着るほどに嫌いになっていきました笑

それよりも、インドのサリーやチューリーが心震えて大好き!


有名な琴の名人、お座敷の芸をされる希少な方の宴、日本舞踊、落語、唄を聞いてみても、、、

ヒンディーソング、アフリカンドラムの方が腹の底から震える‥!!


アメリカに行ったいた時、インディアンの伝統舞踊やインディアンドラムの響きに、魂が震え泣きました‥笑 




あ、、私、、日本人だけど日本文化好きなれないかもしれない!!!!!!


本物の日本文化に触れてないからだよと言われたらお終いですけれども、もう降参。


日本人だから日本文化好きならなきゃはもう辞めました。気長に生きていたら好きなることもあるかもしれないので一旦置いておきます。



最近もっぱらヒンディーソングを聴きまくり、アフリカン太鼓をうっとり眺め、インディアンの聖なるものグッズに酔いしれてご機嫌に過ごしています。

着物類は大事に使ってくださる方に譲りました。


前世は、インド、アフリカ、インディアンらへんが濃そうです‥笑 


嗚呼、好きには勝てない。

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世間の水圧から抜けるそのまんま哲学



前回に引き続き仏教哲学者のひろ さちやさんの「狂いのすすめ」の本を読み進めている。


著者の中に、

仏教講演会が終わった後控え室にきた25才前後のひきこもりの青年が訪ねてきて、

「先生、ぼくは引きこもりなんです。どうすればいいでしょうか?」と質問をして、こう答えました。



「きみね、せっかく引きこもりになったのだから、もうしばらく引きこもりを続けなさい」


すると青年はにこっと笑った。



こ、これが仏教的返しか‥!!

と近くにいたらスタンディングオベーションしたい‥!!と思った。



続けて、

きっと彼は「引きこもってはいけない。何かせなばならない」と悩みに悩んでいるのです。

われわれには「自分が自分であっていい」という、基本的な権利があります。

そのまんまは、あるがままです。いまあるかままの自分、そのまんまの自分をしっかりと肯定する。それがわれわれの哲学です。





仏教は「老、病、死」を敵視しません。それどころか、むしろ仲良くしようとします。敵視することは、自分自身を敵視することになります。それは愚か者のすることです。


仏教をサラッと表面だけ聞きかじったら、老、病、死って仏教ってなんかしんどそう‥!と勝手に思っていたのが、あぁそうゆうことに繋がるから唱えてたのかと思った。


ディズニーのアナと雪の女王が大ヒットした一つの理由に、ありのままの自分を生きるや、

インド、ボリウッド映画「きっとうまくいく」もカースト制度が残るインドで、悩みながらも周囲の反対を押しのけて、大学生が自分の意志で生き方を選択していくこれまた大ヒット映画なのだが、



世界があるがままで生きれないことに限界がきた!!


という一種の表れなのではないかと思う。


特に日本では、ここが足りないから成長しなさい、頑張りなさいと足し算教育だと感じる。

私は頑張るの取り扱い方があると思っていて、

不足感からの出発(今の自分ではだめだ、価値がない)から頑張るのと、


そのままの自分でオッケ〜!というベースがあって、でももっとここを頑張ったらおもろいかも!の出発だと、


前者は頑張るを続けて疲れないだろうかと思う。




私は思いっきり前者だった。

頑張るのが良いことだと信じてきたし、子どもの頃から大人に頑張れと言われまくってきた。

頑張ることがしんどい時もあれば、楽しい時もあったし、頑張った結果得たものや出会った人がたくさんいる。


だから、頑張ることが悪いことではないと思う。

しかし、「生きてるだけでもうすでにオッケ〜」感を醸し出しながら、ついでにやりたいから楽しそうだから頑張る。(ただし本人はやりたいからやっているのであって頑張っている感覚はなし。)


が、今の足し算教育からの脱出の一つになるのではないかと思う。



そうすれば、流動的な世間的の批判的な声に左右されず、

あるがままを生きれるのではないかと思う。

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楽しむこと、はしゃぐことに合理的な理由はいらない

セルフ「Youは何しに日本へ!?」


「Youは何しに日本へ!?」は関空や成田空港で日本に来た外国人の人達にインタビューして、何で日本に来たのか、おもしろい人がいたらその後の旅の密着取材のテレビ番組である。



仕事で日本に来ることもあれば、京都マラソンに出るとか、日本のバッティングセンターに来るためだけに来たとか、彼らの日本への渡航理由が、、



軽っる!!!!笑


と生きる気力が湧いてくる!笑

人生楽しんでますな〜〜と、せっかく日本にきたからあそこも行ってこっちも行って‥ともったいなさからくる旅があまりなくて、この番組に出てくる外国人You達の、人生を楽しむフットワークの軽さに尊敬の意さえ感じるのだ。 


最近放映されたのは、オーストラリアから日本にきた男性は、雪が見たくて日本にきて雪ダイブをしてはしゃいでいた。(他に豪雪の国あったやろ!!と思うが、日本の雪に大のこだわりをもっていた)

その男性の顔は子どもみたいに目をキラッキラしてて、大のいい大人が雪まみれになり遊んでいたのだった。

旅、以上!。



日本に住むと、「そんな大それた理由はないけど、全力にはしゃぐ」というものが、少し薄いのかもしれないと思うことがある。

意味はない、なんとなくやってみた、楽しそうだからついついやってもーたわ。

など異国の文化や考え方も手伝ってか、You達のはしゃぎっぷりを見ているとこちらも楽しくなる。


あぁ、楽しむこと、はしゃぐことに合理的な理由なんて本当はいらないのではないかとさえ思う。


というわけで、たまに私はセルフ「Youは何しに日本へ」を勝手にやって遊んでいる。

大阪、京都らへんはYou達が多いので、バスに乗り合わせたり、なんか近くにいたり、そんな時に話しかけてみる。逆に道を聞かせることもなぜか多いので格好の獲物?である。


京都までくると、観光できたとかが多いんやけども、フランスで空港の管制塔で勤務している人と乗り合わせたバスで話していた。なかなかあまり聴かない内容だったのでおもしろい。


他、中東からきた男性親子は京都から岐阜高山まで行って、その後広島まで行くのだそう。


ちょっとした楽しみが連絡先を交換して、日本のガイドブックに載ってへんやろ〜と思うおすすめスポットを送ることだ。


ともかくYouたち楽しんでくれ!とセルフYouは何しに日本へは続く(たぶん笑)

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わっほーい




ころころ言うことが変わる世間から距離を置く


仏教哲学者の、ひろ さちや さんの「狂い」のすすめという本を読んでいました。


その本の中で、


ホリエモンと呼ばれる人が、ノーネクタイでいると、世間の人々は礼儀知らずと非難しました。

だが、日本の政権党は選挙にその礼儀知らずの人を担ぎ出し、そのためでしょうか、総理大臣は、クールビズとかと言ってノーネクタイ運動を始めました。 



ひろ さちやさんは、ころころ変わる世間に絶対的信用を寄せてはならないと言う。


私は精神的に「世間」から距離を置きたいと思っている。


特に、戦時中に生きた人達の言葉を聞いて、今の世の中が言っている言葉を比べてみると、

面白いほど(滑稽なほど)世間の言ってることは、流動的でころころ変わり、あんなに絶対的な信用を寄せていた概念は一瞬に崩れ去り何事もなかったかのように振る舞うのだなぁと思う。 


当時盛んに叫ばれていた鬼畜米兵、贅沢は敵など時代背景が絡んだ世間の常識は、


アメリカ万歳主義、番組など消費を煽る社会になっている。


人の言葉も、世間のすりこまれた常識から発するものは、うんざりすることが多い。

テレビが言っていた、誰それが言っていたは基本的に私は右から左にす〜っと流している。



だがしかし、自分自身気づかぬ間に世間の常識の刷り込みにあっていたことが往々にしてあることにショックを受けた。


一年前ほど、メガネを新調しようと木製のフレームを探していた。

なかなか木製が見つからず、それならべっこう柄かなぁ、、とメガネ屋に行った。


メガネ屋に貼られた大きな広告ポスターを見ると、モデルがべっこう柄のメガネを着用している。


私は店員さんに、今べっこうが流行ってるんですか?と訪ねた。そしたら、今大流行しているとのことでした。




そこで疑問に思ったことは、


①流行を先取りして自分の意思でべっこう柄のメガネがほしいと思っていた。


②街中などで歩いたりしてる中で広告に触れ、無意識下でべっこう柄のメガネがほしいと思っていた。



私はほとんどテレビを見ず、商業雑誌なども見ない。記憶をたどっても、街中での広告を見てべっこう柄のメガネが良い!と思ったこともない。



①か、②かの答えはわからないし、実際とてもどっちでもいい話だ。

しかし、ここで気づいたのは、もし②だとしたら、ころころ変わる世間の常識に無意識に踊らされていたのかもしれないなぁと思う。


誰の言いなりにもなりたかないという反抗心と、うおお、あぶねーこうやって人は知らない間で世間の刷り込みに合うのか!!と、


一見自分で選択をしているようで、

何かに踊らされてないか?


を、考えるようになった。

それは、物を買うことだけではなく、目に見えない「考え方」も注意を払いたいと思う。

自分の考えていたと思い込んでいたものは、誰かの言葉だったり世間の言葉かもしれない。

Hoooooo!!!!!

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ペルシャ版『うさぎと亀』


日本でのうさぎと亀では、うさぎが邁進し居眠りをして、亀に追い越される話である。


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ペルシャに伝わるうさぎと亀では、うさぎが足ののろい亀をからかい競争になった。そこまでは同じであるが、その後がまるで違う。


競争をはじめるにあたって、亀は自分とそっくりな弟をすでにゴールに立たせておく。

うさぎはどうやっても絶対に勝てない。

これがペルシャ版のうさぎと亀のお話。

ここでは、亀の知恵が高く評価されているのだそう。



ここでは、だいぶヤクザな亀やなぁ…!

ズルすぎる…!!笑


と思う。



しかし、砂漠に生きる人々は、厳しい環境のため競争をはじめたのであれば、あらゆる手段を使って勝つことを考えなければならないのだという。


表面的に見れば、競争をしなければ生きていけないから何が何でも勝たなければいけないと言っているようにみえるがそうではない。


実は競争がいやなものだから、できるだけしないほうがよい。と彼らは考えているのだそう。



例えば、二人の子どもがいて、パンが一つしかない。

「さあ競争してごらん。勝ったほうにパンをあげます」

とやったのでは、砂漠の世界では1人死んでしまう。

だから、仲良くパンを半分ずつにする。そのようにしろと教えられているんだそうです。



最近『分けて生きる』ことが、こんなにも嬉しいことだったなんてと感じる。

漢方医のおばあちゃんから、高くて効用の、すんごいお茶っぱをもらった。


私自身冷えが体に入り込んでいたので、持って帰りなさいと包んでくれたのだった。


大切な友人が重度の貧血だったので、お茶っぱを分けて送った。


自分の所有しているお茶っぱは減ったのに、なんで嬉しさを感じるのだろうか。


『大切な友人が少しでも健康になれば嬉しい』ことが自分にとっても嬉しいのだと思う。

そして、おもしろい友人なので元気になったらもっと面白いことがおこるかもしれないと思うと、余計分けるのがおもしろくなる。


お茶っぱをおばあちゃんに分けてもらった時とても嬉しかったし、分けたことももっと嬉しかった。



今まで、気づかない間に競争下に生きてたのかもしれないと思う。

学校の給食でパンが残ったらジャンケンで勝ったほうがもらえた。

そういえば、パンを分けなされと言った大人(先生)はいなかったなぁと思う。



振り返ると、自分は『競争に向いていない人種』だったなぁ思う。


時には、競争をする必要がある場面もある。受験などやりたいことをするために、設定された競争を通過点にしなければならない時もある。


しかし、競争しか知らずに競争をすることと。

分け合うことを知って競争をするのでは、

心の豊かさが違ってくるのではないかと思う。



でも、できれば競争なしに生きたいと思ってしまう。

ものを書く人の かたわらには いつもねこがいた


ネコメンタリー『猫も杓子も』という番組がお気に入りです。

ねこと作家が出てくるんですが、バカの壁の養老先生とねこのまるが出てきました。




その中で養老先生は、「まるが一番信用できるよね」と言う。

ウソが多い世の中で何を信用するのか、自分で決めるしかない。

だからウソをつかずそのままを生きるねこのまるが信用できるのだという。


ねこは養老先生を支えたいとか、全く思ってもいないのだろうけど、養老先生はまるから何かの影響を受けているのだと思う。


私は自分の中の無意識にある違和感に気づいた時、自分を元に戻す方法として、

ねこのクロを見るか、植物を見たり触れたり、木に触る。花を見つけたり、飛ぶ鳥を見る。

流れる雲や空を見る。

その時は人間と距離をなるべくおきたいと思う。


しかし、しょうがなく自分は人間なので、人間と距離をおくことはできない。


でも、他の人間と距離を置き、そのままの存在と触れた後、

少し違和感から自己の中心に戻る気がするのである。

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イタリア人完全無視ジュエリーを展開。ジュエリーデザイナー山本。

ジュエリーデザイナーの山本沙羅のフライヤーを適当に作りました。

 

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イタリア人完全無視ジュエリー

 

ジュエリーデザイナー山本沙羅。

イタリアフィレンツェにジュエリーデザインを学びに行くも、一切本場イタリアで作っていないという山本。

完全にイタリア人を無視している。

これからアバンギャルドなジュエリーを展開していく。

 

 

続々とユーザーからの声が!

「mondeのジュエリーを着けたら泳ぐのが早くなりました!」

 

「手から火が出るようになりました!自信が湧いたので彼に逆プロポーズしようと思います!」

 

 

 

jewelry designer  Yamamoto Sara

2012年4月15日 monde創設。

イタリアフィレンツェでジュエリーデザインを学ぶがインスタの写真は食べ物ばかり。

最近、長年つきあって結婚した旦那がいるが、結婚前9年つきあった記念日の時、FBで「飽きたよ~」と奇抜な投稿をした。

しかし、ちゃっかり仕事はしていて

大丸京都店など出店。「Tokyo young Designer」「着物の文様とその見方」にジュエリー掲載。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あ、間違えた。

 

こっちが正規のフライヤーです↓↓こっちはイタリア人無視してないんで!笑

ちゃんとイタリアで技術を学んで作成中です。

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小さな貝殻から作ったり可愛らしいジュエリーです。
リザードフラワーで作ったイヤリングは大人気。 

自然もものを取り入れて一つ一つ手作りしているので、

じんわりくるアクセサリーです。

見るのもかわいいんですけど、手にとってじっくり肌で感じて、身につけてほしいなあというジュエリー。

 

 

 作り手さんの想いって物に込められるんですねえ。。

作り人ってすごいな〜〜と思う!!

 

ぜひMondeよろしくです〜

 

ゴロゴロしながらポチッとな!!!通販もしてますよ〜。

www.creema.jp

 

 

 

記事を書いた人↓

me-itaya.wixsite.com

 

an-life.jp