実験室「め」

救急看護師を辞めてフォトジャーナリストへ。自分を生きてみたら何が起きるか実験中

流れに乗る方法とは

私がブログを理由の大きな理由の一つに、自分が当たり前すぎて、わざわざ外に出さないことに気づいてみようかなというのがあります。
最初備忘録として、別にブログに書かなくても良いかなと思ってノートにでも書くかな〜と思っていました。それだと、自分にとって当たり前すぎるものを書き出すことさえやらないなあと思いました。
 
なので、ブログを書いて自分じゃない誰かに見てもらうことを通じて、なるべくわかりやすく説明するにはどうしたら良いか?を考えたり、自分では当たり前すぎて普段やっている「A→D」の過程を、「A→B→C→D」というふうに、いつもすっとばして考えている「B」「C」もちゃんと意識して出す。
ということなどをしています。
 
 
 
自分ではすっとばして考えてたり、当たり前すぎて普通にやっていたけど、案外人には当たり前じゃないんだなあ!と思うことがあります。
逆に、人の文章を読んで、私の考えの射的外のことを考えていて面白いなあ!!ともドキドキします。
 
その人にとって当たり前すぎることは、説明を省いてしまう。ところに、何かヒントがあるのではないかと思います。

 

 
 
しかし、自分で気づくにも少々限界があって、人に言ってもらえて気づくこともあります。
表現はバラバラにしろ、よく言われることがあります。
 
「端から見ていると流れに乗るのが上手く見えるんですけど、どうしてるんですか?」
「浜中のビーチフラッグを全部取っていくかんじですよね!!!」
「あんた全然考えてないやろけど、ポケットにじゃらじゃら種を持ってて、適当に歩いてたら勝手に種が落ちてて育って、収穫していくかんじやんな」
 
 
 
 
どうも、「流れに乗ること」と「気づかず種を落としてて、収穫している」らしいです。
当たり前すぎて自分では意識したことがなかったので、聞いてて面白いなあと思いました。
 
 
「流れに乗ること」についても、意識していないものの様々な前兆がちょこちょこ来るんです。
 
こんな所で会わないだろう!という人に偶然バッタリ会ったり、
頭で思っていたことが、目の前に現れたり、
ふと思い出した人から連絡があったり、
色々あります。
 
 
 
そういう前兆が来る時、どういう心持ちの時が多いかなと思ったら「何かを決めた時」「手放した時」「自分の肝から動いている」「気分が良い」という時かもしれません。それらが複合的に絡み合って流れに乗っている時もあれば、単発的に働いている時もあるようです。
そして、爆発的に流れが来る時、「誰かのことを想っている」のをベースに動いていると、自分が想像していなかった皆のサポートをもらえ流れに乗ることも多いです。ありがたや〜です。
 
上手く言えなくてもどかしいのですが。。。
で、私の場合のプラスアフファ、大きな流れや、今までと違った海流が来る時は「今まで自分がいなかったステージ」に写る時なのかなと思います。
 
 
 
「今まで経験したことがない」ことだったり、「経験したことがないからどうなるかわからない」というものもついてくるので、わからんが故になんかちょっと怖い、どうなるかわからんからドキドキするも、もちろん感じる時もあります。
 
 
怖さは希望とセットでくるもんなんかなあ〜とも思うので、そこで乗るか乗らないかは自分で決めたらいいのかなと思います。そこに、「正しい」で決める方法もあるかもしれないけど、「楽しい」で決めた時の方が、流れに大きい流れに乗ることが多いような気がします。
 
 
 
そして、流れに乗る時先が見えなくて怖いし嫌だと思っていても、どうなっても乗る流れになっている時も時にはあるので、きゃーきゃー言いながら乗ったらいいかなと思います。
 
 
 
転ばない方法を習得するより、転んでも立ち上がれる方法を習得する方が人生おもしろいかなと思います。
 

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