実験室「め」

救急看護師を辞めてフォトジャーナリストへ。自分を生きてみたら何が起きるか実験中

言語化について最近思うこと

体感覚で感じていることが、わりかしあるみたいで、なんか体の芯でじわ〜と感じてるけど、言語化できない感じがある時が結構困ってしまうんですね。

 

 

たぶん、人間って感じる生き物だから皆そういうの持ってるんじゃないかと思うんです。

 

 

 

無理矢理、言語化はできるんですが、80%は合ってるぽくて、あとの20%はなんか違う気がする…。とかで、変に伝わりそうだなあと思うし、文章を書くことがとても苦手に思っているし、無理に言語化しなくても良いんじゃないかって思っていました。

 

 

 

でも、最近連載させてもらっている原稿の締め切りがあったんですが、ギリギリでテーマ変えさせてもらったんです。めっちゃ迷惑!!笑  編集さんにはめっちゃ迷惑かけてしまいましたが、ほんまに協力してもらいました。感謝。

 

 

一年以上言語化を待っていたものが、今なら書けるかもしれない……!!!と思って、ネイティブアメリカンの人達から感じたことを言語化して原稿を書きました。

 

 

書いてみて、私の力不足で、言葉じゃ全然表現できなくて、私の心を手づかみで体の中から取ってもらって、それを持ったらじんわり感じて伝われば良いのにと何度何度も思いました。

 

 

昔から自分が心動かされる写真を撮ったら、写真に触れたらその時の感情がその人に伝わればよいのにって思っていました。

 

 

でも今は、皆感じる心があるから、それぞれの感じ方でいいんだって思います。

 

 

言葉は、言の葉で、一つ一つ葉っぱがいっぱいあって、木になるみたいな感じで、一つの木にできたらいいなあ〜とメルヘンチックなことを思ってしまっています。
言語化を恐れずに、味方につけたい。

 

 

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