実験室「め」

救急看護師を辞めてフォトジャーナリストへ。自分を生きてみたら何が起きるか実験中

物作りから見えてきた誰かの作った夢を一旦捨てて、自分の夢を取り戻す


最近、手でものを作ることが楽しくて何か自分で作れそうなものがあったらどうやって作れるかな?とあれこれ作戦を立てることを最近しています。


ご飯作りや、大葉を育てたり、七輪を作ったり、家で陶芸したり、イヤリングを作ったり‥‥。


小さいことなんですけど、何気なく普通に使っていた物を作る時、構造を調べたり、ここがああなって形作られているんだなぁと、おお〜!!と改めて発見したりおもしろいです。



完成された物をお金で交換して買うのはとても早いということ。

そして、材料を揃えて自分で切ったり穴あけたり、手間をかけて作ることは時間がかかること。



そこから見えてきたのは、

誰かの作った夢を捨ててみることでした。


とりわけ夢は何ですか?と聞かれたら、

皆で楽しく生きることぐらいしか思いつかないのですが


「夢殺し」に気付かず入ってしまうことがあるかもしれないと思いました。


そういう時は、「足りない」ばかりを見たり、「誰かの言った言葉」に踊らされたり、自分がぶれている時が多いです。

お金があれば、有名になれば、地位があれば、◯◯があれば‥‥。

終わりのない実態のない、誰かがいう夢を追い求めてしまう時があります。


それは自分で自分を夢を壊す「夢殺し」なのではないかと思います。

本当は楽しく皆で生きることが私の夢だったはず。



物作りをしていると、楽しい反面、

めんどくせー!!!と叫びたくなるような行程もあったりします。

そういう時、誰かがこれを作ってくれてたんだなぁと感謝が自然とできたり、

植物を育てていると、何気なく食べている食べ物は色んな地球や太陽のエネルギーで時間をかけて育ち、その育ちをお助けする人がいて、、

どんだけ色んな力に助けてもらって生きとんねや!!!

と、びっくりしました。


ああ、もう充分足りてるじゃないか。

「足りない」ばかり見てたけど、「充分」を見ると、果てしなくすでに満たしてもらっているじゃないか。


これが有難いというのか。


感謝せえ!!と誰かに言われるわけでもなく、感謝せえやという社会通念による圧迫もなく、


『自然』と沸き起こる感覚なのだなぁと、感謝の体感覚ってじんわり温かいものなのだなぁと思いました。


物作りから見えた、誰かの作った夢を一旦捨てて、本当の自分の夢を取り戻す。

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手を動かす力を大切にしたいと思います。