実験室「め」

救急看護師を辞めてフォトジャーナリストへ。自分を生きてみたら何が起きるか実験中

ペルシャ版『うさぎと亀』


日本でのうさぎと亀では、うさぎが邁進し居眠りをして、亀に追い越される話である。


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ペルシャに伝わるうさぎと亀では、うさぎが足ののろい亀をからかい競争になった。そこまでは同じであるが、その後がまるで違う。


競争をはじめるにあたって、亀は自分とそっくりな弟をすでにゴールに立たせておく。

うさぎはどうやっても絶対に勝てない。

これがペルシャ版のうさぎと亀のお話。

ここでは、亀の知恵が高く評価されているのだそう。



ここでは、だいぶヤクザな亀やなぁ…!

ズルすぎる…!!笑


と思う。



しかし、砂漠に生きる人々は、厳しい環境のため競争をはじめたのであれば、あらゆる手段を使って勝つことを考えなければならないのだという。


表面的に見れば、競争をしなければ生きていけないから何が何でも勝たなければいけないと言っているようにみえるがそうではない。


実は競争がいやなものだから、できるだけしないほうがよい。と彼らは考えているのだそう。



例えば、二人の子どもがいて、パンが一つしかない。

「さあ競争してごらん。勝ったほうにパンをあげます」

とやったのでは、砂漠の世界では1人死んでしまう。

だから、仲良くパンを半分ずつにする。そのようにしろと教えられているんだそうです。



最近『分けて生きる』ことが、こんなにも嬉しいことだったなんてと感じる。

漢方医のおばあちゃんから、高くて効用の、すんごいお茶っぱをもらった。


私自身冷えが体に入り込んでいたので、持って帰りなさいと包んでくれたのだった。


大切な友人が重度の貧血だったので、お茶っぱを分けて送った。


自分の所有しているお茶っぱは減ったのに、なんで嬉しさを感じるのだろうか。


『大切な友人が少しでも健康になれば嬉しい』ことが自分にとっても嬉しいのだと思う。

そして、おもしろい友人なので元気になったらもっと面白いことがおこるかもしれないと思うと、余計分けるのがおもしろくなる。


お茶っぱをおばあちゃんに分けてもらった時とても嬉しかったし、分けたことももっと嬉しかった。



今まで、気づかない間に競争下に生きてたのかもしれないと思う。

学校の給食でパンが残ったらジャンケンで勝ったほうがもらえた。

そういえば、パンを分けなされと言った大人(先生)はいなかったなぁと思う。



振り返ると、自分は『競争に向いていない人種』だったなぁ思う。


時には、競争をする必要がある場面もある。受験などやりたいことをするために、設定された競争を通過点にしなければならない時もある。


しかし、競争しか知らずに競争をすることと。

分け合うことを知って競争をするのでは、

心の豊かさが違ってくるのではないかと思う。



でも、できれば競争なしに生きたいと思ってしまう。