言葉という表現で人生や生活も変わるかも
何か行き詰まった時や、
突破したい時に先人が作り上げてきたものを見るようにしています。
例えば、漢字。
考えていることや、思っていること、動作、存在、色んなことを言語化して伝えるのに文字にしたのって、すんごいなぁ〜と思うんですよ。
普段、何気なく使ってるけど、自然と共に生きていて、天候で作物がとれたりとれなかったり、今よりも自然によって生き死にが左右されて、感度もとても高かった先人たち。
そんな人たちが、形にしてきたものからヒントをもらえるんじゃないかなーと思って、漢字の意味を調べたり、聞いたりするのが好きです。
例えば、「忙しい」
心を亡くすと書きますが、
あー昔の人も心を亡くすぐらい大変だったんだなぁ笑
と、人間ってあんまり変わってへんのかも、、^o^と思って、なんだか和みました。
生きてると、仕事なりなんなり時間に追われたりするじゃないですか。
そいでも、心を亡くさないようなやり方は何かな〜と考えた時に、
好きなことだと例えスケジュール的に、体力的に厳しくても心を亡くすことはないわけで、
「忙しい」と言わないのかもしれないなぁと思うんです。
充実とかになるんかな??
最近英語の言い回しが多くて、私は苦労しています。
日本で培った風土で、そこから生まれ、ある程度共通認識として持っている言葉と、
違う土地で生まれた英語という表現や認識が違うことがあるからです。
最近覚えた?言葉が、
「ワンネス」です。
誰かが説明の中にワンネスという言葉を使っていたので、私はよくわからなかったので意味を聞いてみました。
その方はワンネスを使ってたものの、意味があまりわからずに使っていたみたいで答えられませんでした。
その方が答えられなかったからどーのこーのではなく、
日本語で表したらええやんということを、あえて英語(他の言語での表現も)で伝えるとなると、日本語という培った言葉、漢字などを通さないので、
その言葉を使っている本人が、意味をよくわかっていない状態でなんとなく使っている。
ということが最近よく起きてると思うんです。
私は、日本で使われている英語表現があれば、自分の理解力を疑って、
英語での意味や使われ方、それに当てはめられる日本語を調べて使うようにしています。
これ日本語で表現した方が伝わりそうなのに、わざわざ英語でそれっぽさを出して言わなくてもええやんと思うことが多い。
結局何が言いたいかと言うと、
表現方法一つで解釈が変わるから本質を逃さないことが大切ということ。
例えば、
日本は、「終戦」と使うけど、明らかに周りの国から見れば「敗戦」だったりするので、少し解釈が変わることもあるよな〜と思います。
他にも生活の中に言葉のアヤが潜んでいるので、ウォーリーを探せ!!みたいな感じで遊びながら気づくようにしています。
売りまくれ!的な広告を見たら結構おもろいです。あと法案とか。
あと、なんで原発にもんじゅという言葉を使ったり、米軍の輸送機にオスプレイという名前をつけたのかを考えると、一つの共通点を見つけまして、ある仮説を立てて、そういう表現をしているものがあるんじゃないかなーと思って他にも名前を探しています。
曖昧やのぉ〜という言葉を見つけたら、
お〜言葉のアヤ使いまくってるな〜!!
とウォーリー見つけた時みたいに楽しくなるという一人遊びをしているというどーでもいい話です。
サボテンの蕾