実験室「め」

救急看護師を辞めてフォトジャーナリストへ。自分を生きてみたら何が起きるか実験中

誰かを疑う教育より、誰かを信じる教育を

温かくなってきて、ある日、京都御苑を散歩していました。
歩いていると、凛と実をつけた何かの柑橘類の大きな木が立っていました。
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あ〜うまそうだなあ…、、と長い時間、実を見上げて、木の周囲をウロウロしながら色んな角度から見ていました。
 
 
そしたら、通りかかったおじいちゃんが「これは何の木かね〜!!?」とニコニコしながら話しかけてくれました。
 
私は、この実の正体がよくわからなかったので、
 
「たぶん、はっさくだと思います〜!」と答えた。
 
この時、生きてる感じがした。
 
知らない人、これからも私に声をかけまくってくれ!!と思う。
 
 
 
小さい時から、知らない人によく声をかけられる。
日本人もいれば、外国の人もいる。年齢もバラバラ。
 
道を聞かれる時もあれば、他愛のない話、
今日の昼何食べたとかも話すときもあります笑 
 
電車に乗ってた時、隣に座っているおばあちゃんに戦時中の話とか話してくれたり、、
 
たぶん、話しかけてくれる人は、風のように人との関わりを大切にしている人達なんではないかと思う。
ある意味、人を信じているのではないかと。
 
だから、知らない私でも気軽に話しかけてくれるのではないだろうかと思います。
 
 
 
大阪に帰るとほっとするのは、ある意味うっとおしいほど、知らない人同士の何かのアクションが起こることです。笑
 
電車の中で、おそらく他県の女性であろう方が、ドアの上に貼ってある路線図をがん見していました。
 
おじいちゃんが、「どこに行くんや?」と聞いたら、女性は「三宮に行きたいけどどこで乗り換えをしたらいいですか?」
と聞き、そこら辺に座っていた人達が数人、やいやいとこう乗り換えたらええ!!と席から立ち上がり話し合いをし、女性に乗り換えを言うていました。
私も参戦したくてウズウズしていましたが、おじいちゃん達のナイスプレー?だったので事なきを得ました。
 
 
人を信じれない物騒な世の中になっている部分もあり、
子どもに、知らない人から声をかけられたら疑え、逃げろ的な教育に満ちていると感じる。
 
やはり、小さければ小さいほど心配だし、なす術もないので、余計にとりあえず知らない人からは逃げろ!というのも分かる。
 
だけど、「あ、こいつはヤバそう…!」という人を察知し全力で逃げることや、「あ、この人は良い人そう…!」という、本能的な判断力を身につけることが
大切なのではないだろうか。
 
近所の人と知り合いになることも、ヤバい人から守ってくれるセーフティネットになることも大いにある。
 
 
数人のお年寄りの方に聞いたことは、
 
「電車に優先座席ができた時、ああ、、こんな時代になってしまったのだなと思った」ということ。
 
今までは、優先座席なんかもうけなくても、人々が声をかけて席を譲っていたんだそうです。
 
 
誰かを疑う教育より、誰かを信じる教育が広がっていけばいいなあと思うので、
自分を実験台にしつつ、広げていこうと思います。
 
何かいい方法とか、おもしろい出来事があればぜひ教えてください。
 
 

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