知ってるようで知らない「絆」と「つながり」の違い
なんだか最近広告や何かを打ち出す時にやたらと「絆」とか、「つながり」を言っとけ感が否めない私です。
ひねくれ者ですいません。
私はよく、言語化すると効力が弱まる事柄があるなぁと思うのですが、「絆」や「つながり」もその一つだと思うんです。
目には見えないものだけども、たしかに「ある」ものだからなのかもしれません。
あえて言語化するとやる気がなくなってしまうどうしようもない奴です。
前に3日断食断水で護摩焚御祈念などさせてもらった時に今まで生きてた中で、言葉にできない感覚や感情が出てきたことがあって、阿闍梨はどんな世界観を感じ取っていらっしゃるのだろうかともはや予測不可すぎて知りたいなぁと思います。
阿闍梨の酒井さんが書かれている本で、絆とつながりの違いが書かれていました。
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もともと「絆」の意味は、馬や牛をつないでおく紐で、人間が紐を引っ張り牛をリードしていた。そこから転じて「絆」は、いい道へ導いてくれる人がいて、その人に導いてもらうという意味になったんだ。
導いてくれる人がいて、その人に感謝するからその人との間に「絆」が生まれていく。
昔は隣のおじさんおばさんに、悪いことをすると竹箒持って追いかけられたよ笑
こら、悪戯するんじゃないよって導いてくれたんだろうなぁ。今は暴力だ!と言われて訴えられてしまうからね。
今は「絆」は単なる「つながり」のことだと思っている人が多いよね。
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「今日できることをやればいいんだよ」より引用
私の周りにはありがたいことに、「絆」で結ばれていることが多いなぁと思いました。
言われて這い上がるのに時間かかりそうなぐらいのスパルタ叱咤激励を年配の方からよく頂きますが、それだけ私にぶつかってきてくれてること。
言われた時、あのくそじじ〜と思うこともありますが、冷静になり振り返ると、自分の愚行にきゃー🙀となり反省します笑 で、またやり直せるというか。
竹箒ふりまわして追っかけ回してくれます笑 うはは笑
なんだかペラッペラのつながりやなく、絆が多いほうが人生おもしろいなあと思う。
もひひ
酒井さんの本↓