写真を何度も辞めようと思った。でもやってて良かったなって今は思う。
今写真コンテストの写真を選定している。
心を整えてPCに向かう。
沖縄辺野古で撮ってきたドキュメンタリーを出す。
今まで沖縄で皆とすごしてきた時間がよみがえる。
おじいおばあに教えてもらったこと、
止まらない国家権力、
苦しかったことも、楽しかったことも、悔しかったことも、嬉しかったことも
、人を許すことも、絶望から光を見ることも、
こんな私でも、生きてて良かったんですよね?という問いに
優しく時には温かい厳しさで答えを返し続けてきてくれた沖縄。
何度も写真を辞めたいと思った。
なんでこんなしんどいことをやっているんだろう?って、自分の弱さに勝てないこともあった。
身体と精神を壊して寝込むこともあった。
でも、なぜか身体は沖縄に行くことを諦めなかった。
撮りだめた一枚一枚の写真を見ていると、その中に移っている人や、海や、空や生き物達や、そして国家権力の姿が、変な気持ちですが愛おしく感じる。ファインダーを通して見ていた世界は、ちゃんと繋がっていたんだと今は思う。
なんでだろう。写真の中で動いている人達を見ると泣きそうになる。
確かにそこに人はいたんだって。想いを持ち寄って皆ここにいてたんだって。
その方向はだめだよって言えるのは、痛みを知っている沖縄の人達の強さと優しさだと思った。
選挙が終わり、今、高江では工事を進められいる。
入賞したら写真展ができる。
私の集客力よりも多くの人が来てくれる。
今起きている現状を見ないことは、結果自分を無視することになる。
そんなのせっかく生きてるのに、あんまりだ。
そして、沖縄の強さや優しさに気づいてくれる人が増えたらいいなあって。
死んだ菊次郎さんに「絶望の中に自ら飛び込め。そしたら見えるものがあるから」
ともらっていた宿題はすこしずつ解けてきた気がする。
絶望の中から光が見えた。それを教えてくれたのは沖縄だった。
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