人間にはどうしようもない、ぐちゃぐちゃになる時だってある
もうすぐひまわりの季節ですね。
流れに乗る方法とは
【台湾ランユー島】出逢いの点と点が線になっていく空気感
15カ国語を話し、通訳で人と人を繋ぐ
台湾人のジョーくんからあることで連絡がありました。
ジョーくんは、15ヶ国語話せるマルチリンガルで、日本に住みながら通訳という仕事で色んな国の人達を繋いでいます。
「岩手のめんこいテレビが台湾に取材に来るんやけど、ランユー島にも行く予定だけど観光じゃなくて、タオ族の精神性や大切にしていることも知れたら嬉しいんだけど、誰かランユーで良い人を知っていませんか?」
ということでした。
あまり知られていないけど、東北大震災の時に台湾は多額の義援金を送ってくれたんです。そのお礼もかねて岩手のそのテレビ局が台湾の紹介で取材に来るので、ジョーくんが通訳やコーディネーターとして同行するということでした。
2年ほど前、生物多様性条約会議が韓国で行われて参加させてもらった時に、ぱっと見長老のような外見のフクさんがいました。フクさんは台湾から来たと言い、日本の原発のことや、台湾の民族性、日本の文化の消失など、色んな話をして仲良くなっていました。何十カ国から、何百人も来ている中で連絡先を交換した数少ない人でした。
その一年後、台湾本土で日台祭りの写真を撮った後、フクさんに会いに行こう!と思って連絡するとランユイ島に住んでいると!(韓国で会った時は台湾のどこに住んでいるのか知らなかった)鈍行電車と船を乗り継ぎ、台湾ランユー島にフクさんに会いに行っていたことがあります。
ランユー島で色んなタオ族の人達と会って、色んな話をしたり、タオ族の看護師さんと一緒に家を回ったりして島の皆にお世話になっていました。
また看護師でランユー島に戻ってきてよ。と言ってもらっていたのもあり、次はテント生活しながら看護師で手伝いに行けたらいいなあ〜と思っていたし、タオ族の人達の自然との共存や、自然への尊敬。そして精神性がとても素晴らしいなと感じます。
ランユー島のことを、日本の人達に知ってもらったり、何かを交換でき合うならそれはとても嬉しいことだなあと思いました。ジョーくんと、フクさんを繋いで、ランユーの人達や日本が繋がるお手伝いがちょっとでもできたらとても嬉しいです。
タオ族の伝統衣装(資料)
点と点が線になっていく手応え
「ロックバンドおかん」の「人として」という歌詞に
あの日生まれなかったら あの街に住んでいなっかたら
あの電車に乗ってなかったら あの日が休みじゃなかったら
あの会社じゃなかったら あの学校に行ってなかったら
あの日晴れてなかったら あの夜星が降ってなかたっら
あの時話し掛けなかったら あの時気付いてなかったら
あの時覚悟決めなかったら あの時叫んでなかったら
あの時別れてなかったら あの時「好き」と言ってなかったら
痛み喜び感じずに僕は あなたを知らないままだった
というものがある。
一つ一つの偶然(必然?)が重なりまくって、一人の人に会うというような歌詞なのかなと思います。
これ神様のいたずらだろう!!!と叫びたくなるような、まるで仕組まれたような人との出逢いもあります。
一人の人に会うのに、こんなに色んなことが動いて会えるのかもしれないと思うと、生きる喜びが湧いてきます。
この歌詞は、「◯◯してなかったら〜」とありますが、
あの日生まれたから、
あの街に住んだから、
あの日休憩して散歩したから、
あの日怖くても決断したから、
あの日勇気をだして外に出たから、
と、一つ一つの過去の自分がやってきたことや、決めてきた自分にもありがとうやし、関わってくれた人たちにありがとう!!と言いたいと思いました。
点だと思っていたものが、増えていって線に繋がっていく感覚を掴んでいます。
良い事も、悪い事(悪いことではないのかもしれない)も全部含めて点と、線だから、生きている中の醍醐味だと思います。
この点がどう化けるかお楽しみ♩みたいな遊び心で、点を楽しみたいと思います。
今回の台湾ランユー島と岩手のテレビでの日本とのご縁がどうなるか楽しみです。
決めると、何かが動く。過去を愛そうと思ったら、人生が劇的に動いた時の写真データが戻った。
うぎゃーー!!!笑
最近、勇気を持って過去を愛そう!と思ったら、2年前に海水に浸かりしんだ携帯が復活した!!・:*+.\*1/.:+ こんなこともあるんですね〜
看護師を辞めて人生が劇的に変化した時の写真データがいっぱい入ってたので、めちゃ嬉しいやら棚卸しに向き合わざるを得ないと言うか‥!笑
海でカヌーの練習をしていて、今日はやらんって思ってた転覆練習をやって(携帯持ってるの忘れてて浸水に気づいたの一時間後_:(´ཀ`」 ∠):) すぐに充電してまいバチっとなり終了。
対処法を知らず、焦って電源入れたり、充電したり、浸水した携帯にやってはいけないこと10選をやりまくってしまってたんですよ。修理の人にも、それ絶対やったらあかんやつっす!と言われました涙
浸水して修理頼んでもデータは戻らない、半年後、一年後も復活しないか確認しても無理。
いつもは諦めて処分してしまうのですが、捨てれず引き出しに入れて忘れていました。
でも二年後、何故かふと電源入れたら復活!!!
海水やし腐食してると思ってたのに!!
なんやこの状況。おもしろすぎます。
何かの前兆の匂いがしますぞ〜!!笑
*1: °ω°
今を愛し、過去を愛すること
先日友人のランボウさんと、その他に初対面の方達がいていました。
ランボウさんは私が看護師を辞めて、自分を生きると決めた序盤に結構からんでいて、飛び立つ前の助走期間に、飛び方を見せてくれた友人でもあります。
私の変化具合や、出来事がおもしろいみたいで、過去のことを踏まえて私の紹介をしてくれてたんですね。
私は、ランボウさんが皆に私を紹介してくれている途中で、
「過去はもう過去だし、今が大事かな〜と思うし、過去は捨てたから何をやっていたか
っていう紹介はせんといておくれ」
とランボウさんに言った。
そしたらランボウさんは優しく
「過去を愛してあげて〜」と言った。
さらに「タニタニ(私のあだ名の一つです笑)の生き方はめっちゃ面白いよ〜!」とも笑いながら言うてくれた。
今この瞬間しか私たちは生きれないと思ってたから、過去はもういいやって思っていたし、過去何をしたかとか、
どんな結果を出したとか、今は関係ないからいらないと思っていました。
ですが、、
自分で自分のことはわからないもので、結構色んな人に私の人生見てたら面白いと言ってくれるんです…笑
次どんな展開になるかわからないからワクワクする!ともよく言ってもらえます。私も予想外な展開がいきなり飛び込んでくることが多いので、自分でも自分のことが予想外やし、どうなるかわからん不安やドキドキ感は多少ある時もありますが、実はそれを楽しんでいます。
なので、目標を立てることがちょっと苦手なタイプでもあります。
ゴールを決めずに、「自分は何を大切にしたいか」を軸に遠心力が働いて拡大していく感じでしょうか。
例えば私が大切にしていることは「色んな人と出逢って楽しむ。皆で楽しく生きる。」なので、結果を求めると自分が死んでしまいます。
写真をやり始めたのも、辺野古を撮っていたのも、「皆で楽しく生きる」がしたかったから。
自分の孫のように大切にしてくれたオジーオバー達が戦争の傷跡でしんどい想いをしていたり、米軍基地のことでまた人が死ぬんじゃないかって悲しんでいたから。
警察や機動隊が、上司命令で座り込みする人達を排除しても、悲しそうな顔を見せる人がいたから。
米兵の人達もこれでいいのかと葛藤しながら、生きていることを知ったから。
でも、いつしか誰かに求められる結果を求めるようになっていました。でも、それは違うなと思いました。「皆が楽しく生きる」を大切にしたい。
後でランボウさんがメールで送ってきてくれました。
「誰にも言いたくないような大変な経験こそ同じよーに抱えている人がいると思うし、今のたにたにはそーいう人たちに寄り添えるような優しさと大切なことははっきりいえる強さを持っているようにみえるよ^_^ 無理なく気持ちよくたくさんの同じような境遇にいる人たちの希望になっていってくださいな^_^」
過去の色んな点がいっぱい重なって線になって、今の私がある。
過去はもう終わったけど、今も過去も愛してあげたいなと思いました。そして、自分の中で消化した自分の言葉で誰かに希望になれたら嬉しいな。^^
言語化について最近思うこと
体感覚で感じていることが、わりかしあるみたいで、なんか体の芯でじわ〜と感じてるけど、言語化できない感じがある時が結構困ってしまうんですね。
たぶん、人間って感じる生き物だから皆そういうの持ってるんじゃないかと思うんです。
無理矢理、言語化はできるんですが、80%は合ってるぽくて、あとの20%はなんか違う気がする…。とかで、変に伝わりそうだなあと思うし、文章を書くことがとても苦手に思っているし、無理に言語化しなくても良いんじゃないかって思っていました。
でも、最近連載させてもらっている原稿の締め切りがあったんですが、ギリギリでテーマ変えさせてもらったんです。めっちゃ迷惑!!笑 編集さんにはめっちゃ迷惑かけてしまいましたが、ほんまに協力してもらいました。感謝。
一年以上言語化を待っていたものが、今なら書けるかもしれない……!!!と思って、ネイティブアメリカンの人達から感じたことを言語化して原稿を書きました。
書いてみて、私の力不足で、言葉じゃ全然表現できなくて、私の心を手づかみで体の中から取ってもらって、それを持ったらじんわり感じて伝われば良いのにと何度何度も思いました。
昔から自分が心動かされる写真を撮ったら、写真に触れたらその時の感情がその人に伝わればよいのにって思っていました。
でも今は、皆感じる心があるから、それぞれの感じ方でいいんだって思います。
言葉は、言の葉で、一つ一つ葉っぱがいっぱいあって、木になるみたいな感じで、一つの木にできたらいいなあ〜とメルヘンチックなことを思ってしまっています。
言語化を恐れずに、味方につけたい。
やりたいことを見つけた大学生と、やりたいことがわからない大学生
最近週に数回程度ですが、地元の学童保育にいって小学校1年生〜4年生くらいの子ども達と宿題したり、遊んだりしています。
※地域で呼び方が違うみたいで説明すると、学童保育は共働きで家に保護者がいない家庭の子どもを家に帰るまで預かる場所です。
なんで学童に行き出したかと言うと……
大学の「キャリア教育」の分野で特別講師として呼ばれることが増えてきて、
「何がやりたいことかわからない」「好きなことがわからない」
という学生がなんとなく多いなあ〜と感じるんですね。
それって、もっと幼少期からの影響もあるんじゃないかな?と感じたからです。
私が学生の時、将来看護師というルートに沿った看護学生だったんですが、
大学に通うのが辛い4年間だったんです。これで良かったのかな?と。
大きな理由に経済的な理由で看護師にならなきゃというものが当時あったので、なかなか義務感で、過酷なカリキュラムでの勉強や実習の学生生活だったので、ある意味自分を殺して勉強する状況もあったわけです。(卒後一年海外にいって、考え改めその後看護師として実際働いて本当にこの職業は良いな!と思いました。勉強だけじゃなく実際やってみないとわからない!)
自分のことなのに、自分がわからない出口の見えない焦燥感。
好きなことを見つけてやっている人と比較して劣等感。
自分でももう何が何だかわからない状態でした。
というわけで、迷っている学生の気持ちもとてもわかるんですよね。
で、そういう学生達と関わっているうちに、
やりたいこと、好きなことを見つけて手探りながらやっている学生と、
そうでない学生の違いってなんだろう?と思うようになりました。
これは自分の視点なんですけど、
前者のやりたいことやってる学生の傾向って、
ある意味大人の言うことをあんまり聞かず、自分を信じている。
後者のやりたいことがわからないっていう学生は、
ある意味大人や誰かの言うことを聞いて、それに意識的または無意識に沿っている。
大人から見たらいい子だったのではないかなあと感じることもあります。
あとは、「自分なんか」と自尊心が低いから自分をどこか信じれないのかと。
じゃあ、その違いってそもそもどこで生まれてくるの?
と考えた時、その人の特性だけではなく、やっぱり小さい時からの環境、外界の影響なのではないかと思いました。
そんな中、小学校の二分の一成人式のゲストティーチャーで私の人生経歴をお話させてもらう機会がありました。
この二分の一成人式は、キャリア教育的な要素がとても強く、何ヶ月もかけて(約1年ほど前から!)自分の将来を色んな人生事例に触れながら考えていくわけです。
私の他にもゲストティーチャーの大学生、高校生も呼んでそれぞれの人生選択や経歴のお話を聞く機会を何回ももうけていました。
なかなか学校にいると、先生以外の大人に触れるってあまりないですからとても、生徒にとって学校の外の大人に触れる機会が刺激になったようです。
私の場合、平日仕事、土日休みじゃなく、ある程度自分で決めれるフリーランス的な要素が強いので、そんな働き方あるんや!!!と生徒達は驚愕していました…笑
そこで、今までの大学生、高校生のキャリア教育での授業と、
今回の小学生の授業をさせてもらった時に思ったことは、
小学生時代での、大人からの教育(刷り込み?)って、高校生、大学生になった時の十分な自己選択の方法や自信への土台になるのではないかと思いました。
というわけで、小学生ってどんな生き物だったっけなあと思い、その糸口をたぐり寄せるべく学童に行き始めました。
とりあえず、、めっちゃおもしろいです。
ああ、この人達は、創造神であり破壊神でもあるのだなあ…と日々生まれ変わっていらっしゃるようで見ていて本当に飽きません。
とりあえず私の爪に油性でネイルアートすな!!!笑笑
天才小学一年生ネイルアーティストの春の新作。
親指から、うさぎ、カエル、星、花火、真っ黒クロスケと
天才小学一年生ネイルアーティスト兼タトゥーアーティス
飽きてきたから爪とりあえず黒く塗るという技術を施して
手の甲のタトゥーは、タイトル『天使の輪っか』だそうで
言うまでもなく油性でした。どうすんねんや笑